コラム「風」平成24年6月
伝える
秋田県美郷町長 松 田 知 己
新緑に心癒される時期となりました。眺めることによって諸事から心が解放され、気持ちが軽やかになります。みなさんはいかがでしょうか。
さて、先般、その「緑」に関して判断を質(ただ)されることがありました。美郷中学校前の歩道の桜についてです。「なぜ伐採した」という趣旨でしたが、私だって切りたくはありませんでした。農学部卒業の私は基本的に緑を愛しているからです。しかし、町としては切らざるを得ない理由がありました。
すべての樹木に共通ですが、年数を重ねると枝幹は太くなります。その結果、降雪期には枝間に雪が溜まります。そして、予告なしに雪塊が落下します。それに伴う危険性については説明の必要がありません。そこで考えるのが枝の剪定です。しかし、生徒の安全を考え歩道側を剪定し、車両の安全を考え車道側を剪定すると、残りは幹だけになり桜として成立しません。残念ながら、後世必ずこうなると分かる場所に植樹した結果ですが、生徒の安全を求める保護者や学校の要望に応えるには、結論は一つしかなかったということです。本欄を通じて判断の核心をお伝えします。ご理解ください。
あらゆる判断には、そこに至った思慮と経緯が必ずあります。当たり前ですが、私はこれまで無思慮で安直な判断はしてきていないつもりです。そしてこれからもしません。しかし、改めてそうした思慮と判断の経緯がみなさんに伝わらないことも分かりました。役場内で議論を重ね、内容によっては町議会と意見交換し、その上で判断した事柄についてどうすればみなさんに誤解なくきちんと伝えられるか、関係職員とよく考えたいと思います。
以心伝心という言葉がありますが、現実はなかなかそうもいきません。やはり言葉で伝える努力が何より必要だろうと思います。その際の仕組みが考えどころです。漫画の一休さんだったら、座禅をしながら坊主頭に人差し指を乗せ、「くるくる」と円を描けばぱっと知恵が出てくるわけですが、私の頭では・・・やはり「三人寄れば文殊の知恵」に頼りたいと思います。
(広報「美郷」平成24年6月号より)