コラム「風」平成27年5月
価値観と共感
秋田県美郷町長 松 田 知 己
痺(しび)れる文章。誰しもが出会ったことがあると思います。私もあります。どこかの講演で話したことがありますが、私が初めて痺れたのは、某飲料メーカーの一文。「破れた恋と空き缶はくずかごへ」。広告用コピーでしたが、多感な高校生時代です、シビレました。(実体験もあったりして?)
また、大人になってからの痺れる文章の筆頭は、脚本家倉本聰さんの文章。富良野塾の起草文で、「(略)車と足はどっちが大事ですか/石油と水はどっちが大事ですか(略)理屈と行動はどっちが大事ですか/批評と創造はどっちが大事ですか(略)」。今読んでも痺れる文章です。
「痺れる」核心に存在するのは、文章を生み出した「価値観」に対する共感です。その共感の状況によって、人はある時は痺れ、ある時は涙し、そしてある時は行動するのだろうと思います。改めて、情報を発する側の共感性ある価値観、あるいは受け取る側の感受性について考えるところです。
実はこうした思索めいたことは、行政に携わる人間は常に考えていなければいけません。と言うのも、「自治」は基本的に施策等に対する共感で成り立つと思うからです。そして、その延長に信頼が生まれてくると思うからです。その意味で私をはじめとする町職員は、思慮深く物事をとらえ、共感性を意識する一方で、迎合(げいごう)主義的なその場凌(しの)ぎは可能な限り排除し、確かな価値観で企画立案・実践していくことが求められるのだろうと思うところです。
そして今月、そうした観点で思慮した取り組みの一つ、北海道中富良野町との連携協定を締結します。町のラベンダー「美郷雪華」を介しての交流を幅広く進めたいと思います。他地域との交流で生まれる地域振興の可能性は、ある意味で無限です。例えば美郷雪華のルームフレグランスや美郷雪華酵母の日本酒、その酒粕利用の商品などは、展開によっては大化けの可能性もあります。そうした可能性は、未来に向けた希望そのものです。交流に包含される可能性、そしてそれを大切にする価値観にどうかご理解ください。
(広報「美郷」平成27年5月号より)